毎年10月22日から23日にかけて、鞍馬の火祭が催されることになります。

 

今宮やすらい祭、太秦の牛祭に加え京都を代表する三大奇祭となりますが、どうしてそのようなことになったのでしょうか。

 

そこにはこのお祭りの歴史的な背景に秘密が隠されています。

鞍馬の火祭の由来について。

鞍馬の火祭

 

鞍馬の火祭ですが、首都が京都であった頃、平安時代に遡ることとなります。

 

その当時、平将門の乱と大地震で、天変地異が相次いだことから、世の平定を願い、朱雀天皇の詔により、由岐明神を北方の鞍馬に移すことになりました。

 

由岐神社の主催神を移すことから、たいそうな行列ができ、十町(1kmほど)に及んだととが今でも伝えられているそうです。

 

天変地異に苦しんでいた地元住民が、この行列により儀式とその感謝の意を後世に伝えようとしたのが、この鞍馬の火祭だと言われています。

 

940年の出来事でありますので、およそ1000年(10世紀)以上もの、古い歴史を感じさせるお祭りとなります。

 

日本の最古のお祭りは、593年の聖徳太子の時代による愛染祭りとなりますが、それに負けないくらいの由緒正しき催しとなりましょう。

 

鞍馬の火祭が奇祭とされている原因について。

チョッペン

 

鞍馬の火祭では、開催時間が夕方から夜方にかける午後6時頃からとなっています。

 

10月の下旬ということで、時間的にもほぼ夜に近い暗さになっている中で、「神事にまいらっしゃれ」とのお祭りの合図が掛かることになります。

 

これを機に、お祭り会場となる街道一帯、各所でかがり火が灯されることとなり、幼い子供から大人まで松明を持ち、行列を成し得ます。

 

「サイレヤ、サイリョウ(祭礼 や、祭礼)」と囃し立てて、練り歩くことになります。

 

そして午後8時から9時にかけて、この鞍馬の火祭が奇祭であるとされる最大の理由となる行事が催されます。

 

それは、チョッペンと呼ばれる儀式です。

 

これはどういう儀式かというと、ふんどし姿の若い男性が、神輿(みこし)の上で逆立ちをして、足を大きく開くというもの。

 

珍妙で、かなり危ないものになりますが、古来より続けられてきたれっきとした儀式になります。

 

この意味は大人になるための通過儀礼とされており、正直なところ意味が分からないと思います。

 

だからこそ奇妙な祭り、奇祭と呼ばれる理由になっているわけです。

 

日本の伝統行事には、具体的な理由がなく、伝統ということで、長く続く慣習があったりしますが、まさしくそういった類のお祭りなのかもしまれません。

 

1000年もの月日を超えて、今もなお続くことになりますが、世界に誇れる行事になりましょうし、これからもあり続けてほしいところです。