鎌倉まつりは、毎年四月に行われる神奈川県鎌倉市の有名なお祭りになります。

 

特に静の舞や流鏑馬を見るために遠方からの観光客を招くほど有名ということからも、是非見学のために参加されるとよろしいでしょう。

静の舞の由来は?混雑必至の人気行事について。

静の舞

 

鶴岡八幡宮で開催される静の舞ですが、この行事の由来は、12世紀の源氏にあります。

 

1186年、源義経は、源頼朝との仲違いにより、身を追われ、武蔵坊弁慶と静という女性と共に吉野山へ逃れます。

 

追手が迫り、義経と静が分かれることになり、義経は東国へ、静は京都へ向かうことになりますが、道中に静のお供となる者に置き去りにされ、京都の守護職に発見されたものの、頼朝の元へ送られてしまいます。

 

頼朝は、静に義経の行方について問いますが、静は答えませんでした。その際、頼朝の妻となる政子は、舞いの妙手として京に名高い白拍子となる静に舞の披露を要請します。

 

病気を理由にして断ったものの、熱心に求められたことから、ついに観念し、以下の詩と共に舞を披露します。
よしの山 峰の白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞこいしき
しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな

日本語訳

吉野山の白雪を踏み分けて奥州に消えたあの人(義経)の跡が恋しく思われる。
「静、静。」と繰り返し私の名を呼んだあの人が輝かしかった頃にまた戻りたいものだ。

 

個の舞に居並ぶ幕府の者たちを感動させたものの、頼朝は、義経を恋い慕う歌をうたい舞うことに怒ります。

 

しかし妻政子は、かつて自分が頼朝を思い慕った日々の、女としての苦しさ、悲しさを教え諭して、頼朝の怒りをなだめたとされています。

 

その後、市内に住居を貸し与えられ、既に義経の子を身ごもっていたことから、その子を出産。

 

ただ、その子が男の子であり、また将来に禍根を残すということで、子供を取り上げられ殺されてしまうというもの。

 

そして当人の静は、京へ返されるものの、消息が途絶えてしまうという終わりを迎えます。

 

この歴史を残すため静の舞という行事が生まれることになり、現代でも毎年行われる行事となります。

 

鎌倉まつりを代表する行事で、全国的にも有名なものになりますので、混雑は必至です。

 

そのためには早めに出向いて、渋滞回避を図るとよろしいかと思います。

 

流鏑馬やその数はどんな感じ?

流鏑馬

 

まず流鏑馬についてですが、以下のようなことを指します。

 

疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを言う。 馬を馳せながら矢を射ることから、「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれる。

 

そして鎌倉まつりの流鏑馬では、文治3(1187)年、源頼朝放生会で流鏑馬を奉納したことに始まることから、他の行事の流鏑馬以上に深く歴史とかかわっています。

 

春の流鏑馬では、数にして10名程度の射手が、250mにわたる距離を騎乗して弓を放つことになります。

 

また的の数は、3つ用意されているので、狙いをつけていくことになります。

 

見ていてなかなか格好がいい行事で、観ないと損するおすすめの行事になります。

 

こちらも混雑するので早めに会場入りをするようにしたいですね。

 

 神輿パレードで神輿の様子や数について

 

鎌倉まつりにはパーレドが用意されています。

 

法被を来た男性がお神輿を担ぐことになりますが、その数、十数基ほどになりましょうが、「どっこい、どっこい」という掛け声とともに行列のごとく進んでいきます。

 

大変重いことから、道中交代などを挟みながら、若宮大路を通り鶴岡八幡宮へ向かうというものです。

 

 

やはり地元の方々が非常に気合いの入るイベントのなので、参加される方は大変ながらも、見せ場になりますので、頑張ってほしい次第です。